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ジャン・アントワンヌ

(1930年9月8日~2016年5月12日)

 

1953_ja-debut-le-grand-voyage_tv-rtb_ジャン・アントワンヌ氏がブリュッセルのフラジェ広場にあるベルギー国立放送(INR)で初めてテレビドラマの司会者を務めたときは、まだ弱冠23歳でした。1953年、まだ発展途上段階にあったベルギーテレビ界で最初の司会者となったわけです。少し前までは俳優か映画監督にあこがれていた文学と演劇と詩を愛するこの青年にとって、テレビ界は幅広く面白い番組を創り出すことのできる場でした。

アントワンヌ氏は文化をテレビの仕事の中心にすえ、自分の愛着のある芸術・文化の巨匠を何十人も画面に登場させました。ジョルジュ・グラール、フランス・マズレール、ピエール・アルシンスキー、ユーゴ・クラウス、マルセル・モロー、ドミニック・ロランといったベルギー人の作家、音楽家、造形家はもちろん、マルセル・デュシャン、セザール、アルマン、ジャック・ヴィルグレ、ル・クレジオ、マルシャル・レイスといったフランス人も。また、カレン・ブリクセン、ジョルジョ・デ・キリコ、ジャック・ゴドブ、カテブ・ヤシーン、レオポルド・セダール・サンゴール、ボテロ、モラヴィア、シケイロスら世界中で出会ったアーティストや小説家、詩人たちも紹介しました。

アントワンヌ氏の200本以上の作品はとても貴重なものです。取り上げた人たちのなかには、キャリアの素晴らしさだけでなく、私生活でも際立った大物が多くいます。とりわけ、ウォーホル、ダイン、リキテンスタイン、セガル、草間、ボティといった、jean-directeur後にニューヨークやロンドンで「ポップアート」の潮流を作った人々です。60年代半ばの彼らとの出会いは、アントワンヌ氏と彼の最初の妻にとって運命を決める出来事でした。女優兼テレビ司会者だった妻エヴリーヌ・ドヴォーさんは「アクセル」の名でポップアート運動に加わりました。1972年のアクセルの悲劇的な死以降は、アントワンヌ氏は彼女の作品を世界に知らしめようと努力を惜しみませんでした。その努力は1975年に結婚した舟越茉莉さんの協力によって彼女の画家として国際的な高い評価を得るようになりました。

ジャン•アントワンヌ氏は、世界中を旅しながらのこうした人たちとの出会いによって触発された他のプロジェクトもベルギーテレビ史上、非常に画期的なものでした。

1960年代に入ると、ジャン・アントワンヌ氏は冷戦時代のソビエト連邦内諸国で野心的な13本からなるドキュメンタリーのシリーズを制作しました。「ニューヨーク派」を撮影した数年後の1975年、彼はアメリカに戻って独立2百周年を題材にしたドキュメンタリーを撮りました。

1980年代、アントワンヌ氏は再び東洋に向かいました。より遠い中国の「Chine immémoriale (太古の中国)」、そしてあまりにも知られていなかった日本の発見です。そこでは、妻、茉莉さんの熱心な支援で5本の貴重な映画を撮りました。数年後にまた日本に戻り、芸術家の新たなインタヴュー・ポートレート映画を制作。藪内佐斗
司、舟越桂、深井隆といった彫刻家、井上靖、堤清二ら作家、建築家、安藤忠雄らが次々とカメラの前に立ったのです。

晩年のジャン・アントワンヌ氏はほぼ半世紀に渡って情熱をもって聞いてきたことをよみがえらせようとして撮影の裏話をエッセーとslide05して記し始めていました。そうした撮影がどのように自分の人生に影響を与えたかを説明しようとしました。

彼の人生と作品に捧げられたウェブサイト(Jean Antoine – téléaste du XXe siècle)が開設され、たくさんの作品の抜粋が見られるようになりました。是非ご覧ください。

ジャワエール•アカ(ジャーナリスト)